石井 武氏の公述
○石井公述人(農業)
皆さんこんにちは。御苦労さまでございます。私は、反対意見を申します成田市東峰に住んでおります石井武と申します。農業をやっております。やっておるというけれども、もう75歳ですからやってはおりませんけれども、うちは農業でございます。よろしくお願いします。
私は2,OOOm滑走路の予定地に東峰というところに土地を持つ者でございます。戦後、私たちが開拓したその土地は今、畑、鳥小屋、堆肥場として無農薬の野菜を生産し、近所には息子たちの共同出荷揚もあります。この公聴会は暫定滑走路をつくるための一つの儀式で、ここに来て私たちが意見を述べるのは建設への手続を認めることになるので、私は公述しないつもりでいたんですけれども・黙っていれば何の異議もないと信じられてしまうので、公述をさせていただくことにしました。よろしくお願いします。
今から33年も前に、羽田が手狭になり、緊急に新空港をつくらなけれぱならないとこの地に持ってきたのです。私たちが抗議をすると、申しわけなかったがそんな時間の余裕がなかったと、こういうことでした。そのように緊急だったはずの空港建設が、33年以上もたった今日、計画どおりにてきずに暫定滑走路をつくるということは、これは一体どういうことなんでしようか。
無理やり空港をつくるための事業認定がされれぱ、10年間はだれがどう反対しようと強制的に買収することができることになっているんです。土地収用法がかけられました。それには土地収用委員会を開き一定の審議をしなければならないのに、たった1回しか、しかも2時間ぐらいで、私たちの意見も全く聞かずに押し切ってしまったではありませんか。これが今日まで長引いた一番の原因だと私は信じております。ところが、10年たっても土地買収ができなかったら、今度はもう1O年できるんだと。ということは、もう工事をやって2期工事の方も輸送道路なんかつくってあるからそういうことを言うと、そういうことを言いました。そうやってあと10年ということですから、合計20年になります。
この20年の間、問答無用でやってきたのは運輸省、公団だったのです。反対する私たちのところへは頭を下げていかなくても強制収用法でいただきますと言って、私のところなんか皆さん信じないかもしれないけれども、20年間の間にたった1回しか来ておりません。これは事実です。いかに政府が直轄の公共事業とは言いながら、余りひどいやり方じゃないでしょうか。政府が余りにひどいことを長い間やってきたから、人々の不信を募らせ、ちゃんとした空港もできず、問題も前に進まないのです。国民の税金を使い、倒産する心配がないからそれで済むでしょうが、民間の人であったならば、もうとっくに倒産していることでしょう。
今、運輸省でこの暫定滑走路の問題を担当している方々は知らないかもしれませんが、2,500m滑走路というものは、実はもう20年も前に開港の年にでき上がっていたことになっているんです。これわ皆さん初耳だと思いますけれども、実際そうなんです。
私はこの20年前の開港の年に、これを反対する立場から闘争の一環として、できてもいない滑走路をつくろうとしている予定の南側の横堀部落というところに建物を建てて、自分たちがそこに立てこもったという意味で逮捕されまして、1O年以上裁判をやっていました。その結果、3年の懲役、執行猶予5年という有罪判決を受けました。建物が滑走路の先端から500mのところにあり、高さは10mそれで3階建てです。その屋上から例えば竹ざお1本でも立てれば、航空法違反ということにされたんです。
この事実を見ても、2,000m滑走路は実際にはないけれども、政治的にはもうできていることになっているんです。同じところにもう一本、現在滑走路をつくろうとしている。その滑走路ができないからと言って、800mずらしてやるということになっているんです。私たちの有罪判決はどういうことになっているのか、それを私は聞きたいと思います。
20年前は、今言った滑走路のない滑走路の先端に建物があってはならないということだったのが、ところが今度はその反対で、滑走路ができれば、明らかに危険地帯に民家が何戸もあるんです。その内側へ暫定滑走路をつくろうとしているんですよ。そして私たちの頭の上を飛行機を飛ぱしていられないようにして、もとの予定どおりの2,500m滑走路をつくるつもりなんでしょう。しかもその理由は、我々が反対しているから、話し合いに応じないからだと、まるっきり私たちのせいにしているわけです。
何事もこのように、私たちが到底理解のできないことを平気でやっているんです。今オープンして使われております空港も、本当に私たちに言わせれば、無法、違法の積み重ねでつくった空港です。この前もここでシンポジウムがあったんですけれども、そのときも運輸省、空港公団は、その事実を認めて私たちに謝罪をしているということは皆さん御存じのとおりと思います。
今33年前のことを思い出してみると、当時閣議決定されたときには、成田の市議会でもみんな心配されて、市議会の先生方は伊丹空港の方まで視察に行きました。帰ってきてからの私たちに対する報告ではこういうことを言いました。「百害あって一利なし」と、そういう報告をしました。しかし、もう33年もたってしまった今日になってしまうとすっかり様子も変わってきていて、今では1日も早い完全空港を望んでいるようです。
私も一成田の市民として現地を見た場合、この不況の時代に空港がどれだけこの地域の活性化につながっているかということも、これは事実として残念ながら認めざるを得ません。事実ですから。そういう中で、私もこのままでいいのかなということでたぴたぴ思い出すことがあるんです。
たまたま私の土地が、空港用地内という形で決められたところにあったからこういうことになっているんですけれども、一応間が悪かったと思えぱいいということも思いました。また、農道を歩いていて交通事故に遭った人もあるわけですから、そういうことを思って、土地を手放そうかと思ったことも実際に言って何度もあります。だけど、なぜ賛成できなかったのか。それは33年の間に、私たちがいろいろな形で弾圧を受けていました。法治国家ですから、これくらいは心配ないだろう、これはいいだろうということでやったんですけど、実はそうじゃないんですね。政府が言うことは、白いものを黒いと言ったってそれでそのまま通しちゃうんです。
私は東峰部落の反対運動の代表として現在もやっておりますけれども、そのせいか目のかたきにされて、何か闘争があるとそのときに逮捕される。私も何もしないんだけれども、1回はやったんですけれども、2回は何もやった覚えがないんです。それで3回つかまっているんです。うちのせがれなんかも何回もつかまっているし、子供らは全部逮捕されているんです。これは嫌がらせです。延べ9回も逮捕されているんですよ。
私が検事に逮捕されるたびに言われることは、おまえら、国のやることに反対したってむだだよ、早く賛成してすっきりした方がいいよ、そうすれば早く帰れるよ。3回つかまったとき、3人の検事がみんな違うんだけれども、そういうことを言われました。いかに法治国家だということで私は信じていても、この反対運動をやっている我々に対しては、もう人権も法律も何も通じないんです。
このようなわけで、法律も約束も守ってくれない運輸省へ公団と話し合え話し合えと言われてもなかなか無理なんです。私たちは話し合いによって解決すると言っておりますけれども、私たちの部落にはそうじゃない人も大勢いるんです。ですから、一緒くたにして話し合いをしろしろと言われてもこれは困るんですよ。できないんですから。ですから、できない相談を彼らはやってきて、そして今日のように、話し合いに応じてくれないから暫定滑走路をつくるんだと。そういうことを言われても困るわけなんです。
何年か前になりますが、1993年の公開シンポジウムをここでやりました。その最終回には、隅谷調査団のお骨折りで和解に近づきまして、私もこの場で、ちょうどこの辺ですね・運輸大臣と喜んで握手したことがあります。その内容は、2期工事については白紙に戻し、今後は対等な立場で話し合うということをしました。しかし、頭上40mの騒音下に住み続けるか、泣く泣く土地を売るか、二つに一つしかない。そのような立場に住民を置くことは決しで対等でも話し合いでもありません。運輸省、公団は、対等な立場で話し合うという約束を今どう受けとめているんでしょうか。
第2点として、最初に述べた実在しない滑走路のため!こ、航空法違反で逮捕されている私の現在の立場をどのようにして説明してくれるんでしょうか。裁判をやり直して有罪判決の取り消しができるのかできないのか、この2点についてこの場をおかりして申し上げておきます。
私に理解できる回答がなされるならば、私もあくまでも話し合い拒否はしません。いつでも話し合う用意はあることを申し上げまして、赤ランプがつきましたので私の公述を終わらせていただきます。どうも御清聴ありがとうございました。