高仲 洋氏の公述
○高仲公述人(農業)
私は、成田市の騒音地域に居住し、農業を営んでおる高仲洋と申します。成田空港の完全化には同意しますが、暫定案には反対の立場から意見を述べさせていただきます。
まず、過去の検証から入ります。シンポ、円卓と対等な話し合いの結果、国、公団が深い反省のもと事業認定を取り下げ、B滑走路計画を白紙に返し、共生策、地域づくり、平行滑走路の整備を三位一体とした空港づくり案が醸成されてきた。そして、円卓会議最終回において、参加者全員が隅谷調査団の所見を受け入れました。
しかし、このような歴史的事実の中にあって、最後まで相入れない二つの思想があったこともまた事実であります。それは、国、公団が終始3本の滑走路を持つ空港づくりに専ら意を傾けていたこと、そして各自治体や反対同盟を除く傍聴者の大方が、同様な先入観を特って臨まれていたのではないかと推察されることです。
一方、反対同盟は、既に運航されていたA滑走路を認めながらも、仮死の土地に地発こしを基本姿勢とし、調査団の所見に対しても、地球的課題の実験村をB,C跡地につくるべしと訴えながらも滑走路増設の手法については、あらゆる強制力を行使せず民主的につくるべしとの見解に全面的に賛同しておられました。
さらに、今後のあり方について、滑走路建設に先立って、地域と空港との共生策が一つ一つ現実のものとなり完全に具体的な姿としてあらわれたとき、公団不信は解消されることになると述べて、所見を受け入れております。
もう一方、農民独自の反対を続けてきた小川派は、最後までシンポ、円卓の参加を拒み続け、対等な話し合いを持たぬまま現在に至り、予定地内において反対をしておられる方もおられます。
それでは、現実はどうでしょうか。まず共生策は、民家防音工事等の対策は制約が多く、地域共生財団の発足も騒音下住民の期待を裏切る結果となって、きめ細かな民防対策も住民の意向を尊重しているものとは言い難い面もあります。本来300便の運航たるべきA滑走路下の住民が、現在370便の音に耐えています。もし暫定滑走路が長引けば、さらなる増便が強いられることが皆無とは言い切れません。羽田空港へ一部国際線が乗り入れるのにはこぞって反対している現状だが、騒音下住民の中には、夜遅い便だけでも羽田へ行ってもらった方がいいと、偽らざる心境を打ち開ける人もあります。私は5月まで騒対協の事務局長を務めておりましたが、住民の声を外に向かって言うことができず、非常に胸が痛い思いがいたしました。
さらに、地域づくりは、騒音下の土地利用は何一つ目に見えてこない。これが速やかに推進されなけれぱ、地域づくりは日の当たる地域の振興策が先行し、騒音下を置き去りにすることになります。
なお、人命の尊重についてです。落下物問題は、着陸コース下の住民を恐怖に陥れています。共生委員会、空港公団ともにしかるべく対策されていることは一応評価するも、抜本的対策とは言えません。空港公団は、もし人身事故に違したら平行滑走路どころではないと語っています。不測の事態が発生する前に、移転補償による対策を講ずるのは当然なことであります。コース下の住民が毎日、最終便が通過すると胸をなでおろす。これが日本一往みよい成田か、と語っていることもつけ加えておきます。
また、航空機事故対策の制度化についても事あるごとに要望してきましたが、一向にらちが明かない現状であります。
さらに、誠意ある話し合いとは、私は畑ヶ田地先に造成された代替地に1町1反の農地を提供しております。当時、空港反対であったので、賛意をもっての協力ではありません。激しい闘争についていけない人、様々な事情によって空港間題から離れて新天地を求めて移転する人、その方々の移転先を確保するための代替地ゆえに、私は空港反対を乗り越えて協力しました。まだ農家の移転者がな<荒れ地化しています。有機循環農業を可能にする土づくりには最低10年を要します。公団が代替地の土づくりを怠っていたことは、この期に及んで非常に残念であります。
関係機関は、用地内の方々が発信する、滑走路以前の問題としての話しがある、とのシグナルには全く反応していません。今まで公団も成田市も現場の関係者は、昼夜分かたず心温まる努力を傾注してこられました。私たちはそれを目の当たりにして、東峰の森問題に見られるように、心のきずなが少しずつ結ばれていることに大きな期待を抱いてまいりました。ところが、この春以来、タイムリミットを設定した国の一連の動きは用地内の方々の心の扉をしっかりと閉めてしまいました。ワールドカップを最終期限としたこの手法は、隅谷調査団の所見を受け入れた精神に忠実とは理解できません。
一方、反対を唱える皆さんも、怨念にまで達する不条理があったにせよ、そのことの話し合いを含めて地域社会にも国民的にも理解できる論理性が求められているのではないでしょうか。
次に、将来の展望。四半世紀に及んだ重い経緯をたどってしまった反対闘争の歴史も、シンポ、円卓が民主主義の壮大な実験とまで言われ、見事な金字塔が構築されたかに見えた。しかし、量終仕上げの段階で挫折してしまい、予想だにしなかった暫定滑走路への計画変更案が現実化しつつあります。
閣議決定当時から、設置者側と反対者側の双方にあった断念の思想を、シンポ、円卓において払拭できたかに見えた。しかし、その後の実験村検討委員会が挫折するという予期せぬ結果を招いてしまった。この断念の思想の葛藤は、あたかもユーラシアプレートと太平洋プレートが相譲らず重なり合う様子を連想させます。結果的に暫定滑走路が激震をもたらして完成間近の金字塔を瓦れき化し、成田空港が世界に例を見ない欠陥空港へと転落する道筋をたどってしまうかもしれません。
暫定案が強行されたとき、「暫定」の二字がかき消され、身動きがとれなくなることもまた推定されます。その後に憂慮されることは、今後の空港整備計画の中で第三空港の国際化、羽田の滑走路増設等に拍車がかかり、首都から60Hの欠陥空港が衰退していくことの懸念です。私はこのような現状と将来展望に基づき、暫定滑走路には賛成できません。
今からでも遅くはありません。設置の側も、反対の立場をとっておられる方も、本当の平和を希求するためにはいかなる道を選ぶべきか。真理への道筋は1本しかないはずです。この期に及び断念を主張するのは、事の正否のいかんを問わず、非妥協のそしりを免れず、私が共鳴する高遭な農の理念までが押し流されてしまう恐れがあります。
33年間戦い抜いてきた不屈の農民魂がここで消化され、祖先から受け継ぎ子孫から借りている北総台地を、子孫の幸福のために立派な遺産として子孫に返すため、針の穴から将来を見きわめる大変さであっても、平和への選択肢を模索していただきたい。
最後に、空港問題等かかわってきた行政、私たち市民も、その責任として東峰の皆さんと一つのテーブルに着いて話し合い、平和解決の道筋を構築していけるよう願いを込めて申し上げます。以上で発表を終わります。