MACチャーター便と軍事郵便局問題

@『「MACチャーター便」とは何ですか?』

 読者の方から、「軍事利用問題の取極書覚書の中に出てくる『MACチャーター便』とは何ですか。」との質問をいただきました。もう、30年以上前の話ですので、私自身もうろ覚えのところもありましたので、調べ直しました。以下のようです。
 MACとは 【Military Airlift Command】 の略語です。すなわち、【MACチャーター便】とは【軍事空輸部隊の民間チャーター便】と言う意味になります。
 ベトナム戦争が激しかった頃は羽田空港にアメリカ軍のMACチャーター便が頻繁に出入りしていました。1966年に1369回、1967年に2226回、と言った具合で、当時の羽田空港の全発着便の内3〜4%を占めていました。
 運んでくるものは、米軍兵員・軍属・日用品・弾薬・兵器・食料・傷病兵・戦死者の遺体などありとあらゆるものがあったようです。中には、飛行機の窓を覆って完全武装の兵士をアメリカから羽田を経由して直接ベトナムに運んでいた事もあったようです。「ようです。」としか書けないのは、日米安保条約により、積み荷につて日本側には調べる権限はありませんので確認は出来ませんが、漏れてくる情報からの推定です。
 羽田空港のグランドサービスの労働者から聞いた話では、MACチャーター便の荷物をフォークリフトで運ぶ途中で、荷崩れを起こし、荷物が落下して梱包が破れたところ、中から、機関銃弾が飛び出してきた事もあったとのことです。
 1968年3月6日の衆議院運輸委員会で当時の中曽根運輸大臣はMACチャーター便について「軍が民間機を徴用して輸送のために使うという程度のことは、私たちも羽田においては認めておるのです。しかし、新国際空港(注;成田空港のこと)の場合に向こうがどういうふうに使うかということは、まだはっきりわかっていることではないのでありまして、それが直接戦闘目的のために利用されるというようなことであるならば、われわれは拒絶する考えであります。」と答弁し、『直接戦闘目的のため』でなければ、MACチャーター便の出入りも容認する姿勢を明らかにしました。
 そこで、私たちが1972年に取り交わした「取極書」や「覚書」の中で、「MACチャーター便の乗り入れはさせない。」と明記させ、「軍事的な使用は絶対に行わない。」と約束をさせたのです。

@アメリカ軍の軍事郵便局問題

 成田空港が出来る前に羽田空港が国際線の主要空港だった時には、羽田空港の中にアメリカ軍向けの「軍事郵便局」が存在していました。当時はベトナム戦争が激しかったためもあって、羽田空港に民間機で運ばれてくるアメリカ軍関係の郵便物もたくさんあったそうです。多いときには、1日6トンもの郵便物が羽田空港を通して、出入りしていたそうです。
 しかし、日米安保条約により日本側にはこれらの郵便物についてのチェックは一切出来ませんでした。従って、麻薬などの違法な物資も送られてきたようです。
 成田空港の建設に当たって、この「軍事郵便局」の扱いが問題になりました。周辺の住民は建設に賛成する人も軍事郵便局設置には反対しました。そこで、成田市は軍事郵便局を設置しないように国と空港公団に要望しました。その結果、下記のような回答が寄せられ、軍事郵便局は作られないとの約束が成されました。

念書

空新第76号

昭和46年11月22日

成田市長 長谷川録太郎殿

運輸省航空局長 内村信行

新東京国際空港における米軍施設(郵便取扱所)について

 新東京国際空港建設については、つねに貴市の御協力いただき感謝しております。

 先般、御要望のあった、標記の件については、新東京国際空港には郵便取扱所を含め軍用施設の設置は考慮していないので、ご了承下さい。

空公企画第298号

昭和46年10月19日

成田市長 長谷川録太郎殿

新東京国際空港公団 総裁 今井榮文

新東京国際空港の施設について(回答)

 昭和46年10月14日付け、ご要望のあった件につきましては、当公団としては、新東京国際空港に米軍用郵便物取扱所、そのほか、いかなる米軍施設も設置する計画はありませんので、ご了承下さい。

 ところが、開港(昭和53年5月20日)間近の昭和53年2月になり、マスコミで、「政府は成田空港に米軍郵便局の設置を計画している。」との報道が流れました。
 私たちの会は直ちに行動を起こし、成田市を中心に街頭宣伝、街頭署名、チラシ配布、周辺自治体や民主団体への申し入れ、運輸省や千葉県との交渉を精力的に行い、米軍軍事郵便局の設置は阻止しました。
現在米軍は民間機に積まれてくる軍事郵便物を成田空港で受け取り、横田基地に運んで処理をしていることになっています。

 しかし、現在の成田空港に上記の念書で約束している「軍の郵便取扱所」の様なものがないのかどうかは確認できていませんが、2005年の12月には「成田空港サーバー」の読者から下記のようなメールが届きました。


はじめまして。

成田空港に米軍施設が存在するのかどうか調べているうちにたどり着きました。
何故、調べようと思ったのか、それは米軍施設のZIPCODE(郵便番号)一覧で在日施設の項目を見ていたら、三沢・横田などの基地群に混じって成田空港、関西空国、那覇空港がリストに入っていたからです。那覇は自衛隊も共用していますからそれも有り得るかなと推測いたしますが、成田、関空にいたってはどういうことかと疑問が湧いてまいります。
軍事郵便局はないはずです。…とすると秘密施設が存在するのか、有事や将来を見据えてあらかじめ番号を割り当てているのか?
しかし、後者だとすれば、現存するWEB上のリストにあえて記載する必要はありません。いつでも最新版にUPDATEできるからです。おそらく現在、機能しているものと考えられます。詳しく読んでいないので、場合によっては私の誤解ということもあるかもしれませんが、URLを記しておきます。

http:〃freebizadsweb.com/apoψolistdb.asp?page=1&searchfor=Japan&catsearchfor=Country

 この指摘の通り、下記のように載っていました。

 これは一体どういう事でしょうか。成田国際空港株式会社に質問したところ、「米軍の事については、把握しておりません。」との答えです。上記の成田市の問い合わせについて、当時の空港公団今井総裁は「当公団としては、新東京国際空港に米軍用郵便物取扱所、そのほか、いかなる米軍施設も設置する計画はありません」と明言しています。「把握しておりません」では済まないと思うのです。
 建設当時の周辺住民の意識は賛成派・条件付き賛成派も含めて「軍事的に利用しない、平和な空港ならば、仕方ないか。」と言うのが一般的でした。これが、建設受け入れの大前提だったのです。いわば、「成田空港建設の『憲法』だった」と言っても過言ではありません。この精神は30年・40年経っても変わるものではありません。

 このように、政府は私たち住民が常に監視していかないと平気で約束を踏みにじるようです。