新東京国際空港騒音対策委員会
この委員会は1972年4月に第1回の会議を開いてより、ほぼ1年に1回開かれ、1998年の3月に第25回の会議を開きました。1999年の第26回委員会は3月30日に予定されています。この会議の目的は成田空港の地元と周辺に住む人達の意見を吸い上げる場として設置されました。
本会はこのような「住民が意見を述べる場はどうしても必要」と言う立場からその設置を運輸省と空港公団に強力に働きかけました。その結果、本会は当初から会長と事務局長の2名が委員としてメンバーに加わりました。
はじめの頃は反対運動が実力闘争に傾いていたこともあり、非常に激しいやり取りが行われました。時には激昂した委員が灰皿を投げることもあったそうです。このような事もあって、現在でも会議は非公開で、マスコミ関係の取材も別室でマイクを通しての取材になっています。
当初のメンバーは周辺市町村の首長、議会議長、千葉県と茨城県の代表、住民団体の代表、運輸省、空港公団、航空会社の代表、学識経験者など70名を越える委員でした。これでは余りに多すぎて、実質的な討議も十分できないとのことで、2年前から、メンバーを約半分に減らしました。現在のメンバーは千葉県と茨城県の代表それぞれ1名、成田市から市長、議長他3名、芝山町から町長、議長他2名、松尾町、横芝町、蓮沼村、大栄町、多古町、富里町、山武町、佐原市、神崎町、河内町、新利根町、江戸崎町の首長、千葉県環境審議会委員、本会事務局長、航空会社代表、運輸省東京航空局次長、新東京国際空港長、空港公団副総裁、空港公団理事の合計32名で構成されています。委員長は空港公団副総裁で議長もかねています。
名前は『騒音対策委員会』となっていますが、周辺住民の代表が一同に集まって意見を述べる場はここしかないため、取り上げられる内容は本当に多岐にわたります。ここで取り上げられた問題は、運輸省や空港公団の取り組みが遅々としたものではありますが、少しずつ実現されてきています。例を挙げますと、「防音対策区域の拡大」「テレビアンテナの取りつけ」「A滑走路とB滑走路に挟まれた地域の民家防音工事への助成(谷間対策)」「落下物事故の軽減に向けての洋上での脚下げ」「落下物事故への補償制度」「飛行コースずれを正すための誘導電波の角度変更」「民家防音工事への再助成制度」など数多くあります。
しかし、委員会の運営については多くの問題点もあります。一番大きいのは意見を述べる時間が少なすぎる事です。年1回の開催で実質の討議時間が2時間しかありません。そのため、意見発表が代表者に限られ、しかも項目が2、3項目しか発言できないのです。本会は毎回多くの問題を取り上げて改善を求めますが、公団からは「意見を絞ってほしい」と言う要望がかなりありました。本会は少なくても年2回の開催で、実質討議時間を4時間は取ってほしいと要望しています。また、1997年の8月には、この委員会の活動状況を周辺の人々に知らせるために、『騒音対策委員会便り』のような広報誌を年に数回発行して、「今、何が問題になっているのか」をはっきりさせるように、空港公団に申し入れました。